毒にも薬にもならぬ

自分の頭を整理するための場所 正誤も是非も無い

昂るから中身のない声が出る

そこが現実であろうが電脳であろうが、大口を開けていれば大抵の物物が流れ着いてこないとも限らないこの現代、この2022年。
しかも、既に12月1日を迎えている。
ここで「大量の駄文を書こう!」だのと突如行動を起こしたのは、2つの理由がある。

1つは、ものすご~っく素敵な作品を今しがた読了したものの、幸せとか、言葉とか、陳腐が過ぎて、足りない頭では口を噤む外なかったから。
もう1つは、今の私が覚悟を決めつつあることを、未来の自分に知ってほしいから。

今の自分が、過去の自分に「なんで残さなかった?」と思っているから。
もう二度とそうしないために。
毎日はしない。残しておきたい何かがあったときか、昂りすぎて肉体の何もかもが追い付けなくなってまどろっこしくなったときだけね。

ここ10数年はTwitterがその役割を果たしていたけれど、あれは手軽であることが良い面であって、こんなポエムなんだかエゴなんだか嘘なんだか本当なんだか分からないぐちゃぐちゃを残して読み返すには、ちょっと適していない。
多分、未来の自分も私だから、これを読み返してるときもブログにした理由は分かってくれると思ってるよ。

 

さて、今日つまり12月1日(木)の日付を跨いで少しの時間まで、ある作品をプレイした。
プレイ、だからゲームだっていうことは分かると思うけれど、何でわざわざゲームのことをここに書くのかも分かっていてほしいね。

 

久しぶりに心臓を鷲掴みにされた。

 

手が見えたよ。比較的明るい肌の多分男の手。自分が比喩表現で出してくるのは大抵女性じゃなくて男性だから、そこは大した問題じゃない。
心臓なんて、ましてや自分の腑なんて普通は見えないのに、暗い、身体の中心に、弱弱しい血管が必死に中央に在ろうと心臓を持ち上げているその空間に、どこからやってきたか分からない男の右手が、指の間に血管を絡めながら、優しくしっかりと心臓をとらえてきた、そう見えたよ。

つまり、凄かった。

自分のことだから少しくらい分かると思うけど、こんなところに文章書いて無けりゃ私のことだから「すごい」「すごかった」「すごいわー……」「すごいんだけどこれ」を言い続けて、沈静。いつの間にか落ち着いてたと思う。
正直ここにどれだけ詳しく書こうが中身のない言葉を発する癖は変わらない気がするけれど、今はそれで終えたくなかった。
だから、中身が無くてもわざわざ文章にしている。
私も私のこと分からないけど、他人に私のことが分かるとも思えないから、いつかこれを見たら共感してよね。

ここまで中身のない文章を書けるのだから、どれだけ昂っているかは伝わったと思う。
呼吸は無かった。肉体が邪魔だった。ずっと、ずっと、ボタンを押す動作でさえ邪魔だった。目で摂取できたら良かったと思える作品だった。
あんな男やあんな女はいない。少なくとも今の私はいないと思ってるよ。

幸せになってほしい。もうこの話以外読めない。セーブスロットは全てこの思いでしかなぞらなくて良い、結構です。
皆々、その後の話をよく描けるものだ。私が描く勇気がないだけだけれど、貴い生命がそこになることを表現するには、私はあまりにも小さくて弱い。惨めだ。骨しか残らない気分だ。
惨めな気持ちは好きだから良いけど、それにしてもだなあ、しばらく頭から離れないな。

明日から一体何を想って生きていけば良い?とか、普通のことを想うと思ったら、案外、思ったよりは前向きに喪失してる。
心は、上が凪いで、下が煮立ってる感じで、両耳の穴から中身を全部誰かが気持ちよーく引きずり出していく感じ。ワクワクしてる。

 

感覚だけなら永遠に書ける。
今度は、2周目をやってみようと思う。勿論、同じ話でね。もう他は読めないよ、しばらくは。少なくとも今は読む気分じゃない。
少しだけ許せるようになったら、絵も描くよ。

さすがに今日は寝る時間を増やさなければ。眠れる気は全然しないけれど。

2022年12月1日(木) 2:05